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湯野浜ラバーズ・コンチェルト

12月第3週月曜日/2:00PM

 ————サンタクロースがいることを、何歳ぐらいまで信じてた?
 クリスマスが近づいてくるたびに、そんな言葉を耳にする機会が増える。直接尋ねられることもあれば、店の中のゲスト同士が話しているのを聞くこともある。
 圭一には、よくわからない。
 サンタクロースの実在を、たとえそれが子どもの時分にしたって、”信じる”なんていうことが本当にあるのだろうか? 
 暖炉の煙突から入ってくるの? あなたの家には暖炉があったの?
 まだ幼かったころ、圭一の両親はクリスマスイブには普通にプレゼントを買ってきた。そこにはサンタの“サ”の字も入り込む余地がなかった。給料の一部を原資に、百貨店の玩具売場で自分たちが見立てて買ってきたものだと常に両親は明言した。だから圭一は、クリスマスとは親が子どもにプレゼントを贈る日なのだと、最初から信じていた。バレンタインデーが、女性から男性にチョコレートを贈る日であるのと同じように。
「へー、そうなんだ」
 若社長は今日も呑気に、食後の珈琲を飲んでいる。
「うちなんか、子どもがまだ小さいころは、自分たちが買ってきたものだと気づかれないようにと、涙ぐましい努力をしていたもんだよ。しかも子どもってさ、ほら、移り気だから、欲しいプレゼントもコロコロ変わるんだよ。それでうちの奥さんなんか、子どもが何歳の頃だったかな、一度ブチ切れしちゃってさ、欲しいものはせめてクリスマスの2週間前には決めないとサンタさんも対応できないよ、って子どもに怒鳴ってんだよ。サンタさんはわざわざ北欧から来るんだからね、って」
 その言葉に苦笑しながら、ということは今年はもうデッドラインを過ぎてしまったのか……と、圭一は考えた。
 そうだよな。クリスマスはもう目の前だ。
 圭一は言葉には出さず、胸の中でつぶやいた。今年のクリスマスは、さえないものになりそうだな。
「ところで山澤くん、今晩は大丈夫だよね?」
 その声に視線を戻すと、そろそろ引き上げようとしてか、若社長は腰を椅子から半分浮かせるようにしながら、圭一の顔をのぞき込むようにしている。
「ああ、大丈夫。ちゃんと予定してはあるけど……」
 そう答えながら、圭一は自分の表情がどうしても、若社長の顔をうかがうようなものになってしまっているのに気づいていた。というのも、若社長の今夜の誘いがどういう意図によるものなんか、その真意が圭一にはよくつかめていないからだ。
 実は5日ほど前、今日と同じようにランチを終えた若社長が帰り際、やっぱりいまと同じように突然に、「たまにはうちに飲みに来ない?」と言い出したのだ。
「うちにって、おたくの旅館に?」
「そうそう、うちの最上階にラウンジがあるのは知ってるでしょ。たまにはあそこで酒でも飲もうよ」
 うーん、と圭一は考えた。どういう風の吹き回しだろう?
「でも飲むにしても、どうしても夜の営業を終えてになるから、遅くなるよ」
 圭一の遠回しの断りの言葉を、「いや、遅くても全然構わないよ」と若社長は軽く笑い飛ばした。
「ほら、いつもこうして美味しいものを食べさせてもらっているからさ、その御礼。もちろんおごるよ」
「うーん」と、今度は圭一は口に出してうなった。
「なんだったら、そのままうちに泊まってもいいし。ほら、この時期を逃すと、クリスマスで山澤くんも身動きが取れなくなっちゃうでしょう」
 そして「いや、この時期からもう忙しいんだけどね」と口ごもるように圭一が言うのを意に介すことなく、その言葉にかぶせるようにして若社長は「例えばさ」と言って、今日の予定を聞いてきたのだった。
 仕方なく圭一は「その日の夜に特別な予定はないんだけど」と答えた。そしてそう答えた後で、少し苦笑する気持ちが起こった。それはそうだろう、いつの夜にも特別な予定なんかないんだから。
 しかしあの日、もちろん若社長は圭一のそんな微かな自嘲の表情にも、やっぱりまるで気づくふうもなく「よかった」と笑顔で言うと、なぜか圭一の肩をポンと叩きまでしたのだった……。
「じゃあ、仕事が片付いたらうちに来て、エレベーターで11階まで直接上がってきてよ」
 今日も若社長は、圭一の探るような視線には無頓着なままでそう言うと、会計を済ませて店のドアを開け、旅館へと続く緩やかな坂道を帰っていった。その背中を圭一はしばらく見送っていた。
 もしかしたら、今日は昼食というよりは、わざわざ念を押すために来たのだろうか? いつもよりも足取りが軽く見える後ろ姿を眺めているうちに、圭一はふとそんなふうに思った。しかし、まあいい。気にしないことだ。そう圭一は思い直した。だいいち若社長は、毎日のように来ているのだし。
 その夜は最後のゲストが帰ると、いつもならば閉店後にする作業のいくつかを翌日の午前に回すことにして、圭一は戸締りをして店を出た。若社長の旅館は湯野浜の高台に建っている。店からの坂道を辿りながらその最上階を確かめようと顔を上げると、白い粉雪が圭一の視界を横切った。この時間に降り始めたとなると、明日の朝までに積もるかもしれない。圭一はそう思いながら、旅館のエントランスを通り抜けた。1階のロビーでは、クリスマスツリーが光っていた。

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 若社長に言われた通り、圭一はロビーを突っ切ると、奥にあるエレベーターに乗って11階に上った。以前に案内されたことがあるので、ある程度、勝手はわかっている。このフロアには6つの客室が並び、その真ん中にラウンジが造られているのだ。滑らかなカーブを描くカウンターがしつらえられ、その奥の大きなガラス窓からは海が見える。全体の照明はあえて明度を落としてあって、ただカウンターの上だけがダウンライトを受けて明るく浮かび上がる……。
 だからラウンジに入っていったとき、カウンター席に座っている女性が誰なのか、実は圭一にはまったくわからなかった。
 女性はちょうど入口に背を向ける格好で、ハイスツールに腰を下ろしていた。そして、これはまたどういう趣向なのか、カウンターの中に入ってカクテルのシェーカーを振っている若社長と、何か言葉を交わしているところらしかった。
 圭一は「こんばんは」と言いながら、ラウンジの中を進んだ。その声に若社長は顔を上げると、「お、来た来た」と笑顔を向けた。そしてカウンターの女性が振り返った。
 文緒だった。
 彼女は明るい声で「お久しぶりです」と圭一に言った。その笑顔もまた、ダウンライトの光の中で、浮かび上がるように圭一の目には映った。
 思わず「なんで?」と言ったきり、圭一には次の言葉が思いつかなかった。
「ほら、言ったでしょ。今夜はいつも美味しいものを食べさせてくれている御礼だって」
 カウンターの中でシェーカーを振りながら、サンタクロースがそう言って圭一にウインクをしてみせた。

著者プロフィール

星野 青(ほしの・あお)

ライター・編集者。2009年4月〜2010年3月、月刊誌「東京カレンダー」編集長。2009年4月〜2014年3月、JR東日本会員誌「大人の休日倶楽部[ミドル]」クリエイティブ・ディレクター。編著書に、小説『月光川の魚研究会』(2011年/ぴあ刊)、ノンフィクション『空間演出家 池貝知子の仕事と意見』(2012年/アクセス・パブリッシング刊)、『図書館が街を創る。〜「武雄市図書館」という挑戦』(2013年/ネコ・パブリッシング刊)などがある。

バックナンバー

第一話 迷子の時間

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