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湯野浜ラバーズ・コンチェルト

10月第2週水曜日/1:30PM

 圭一が時計のことを、何気なく自分のブログに書いてみる気になったのは、それを拾った翌日のことだった。
 前日の火曜日、午後3時を過ぎたころに、圭一は小学校のはす向かいにある駐在所に足を運んだ。本当は拾った足で届けに行きたかったのだが、ランチの仕込みのために時間がなかったのだ。圭一は海沿いを走る国道から一本丘のほうに入った通りにフレンチのレストランを開いている。店をオープンさせてから、2年とちょっとになる。
「別にわざわざ届けなくてもいいんじゃないかなあ」
 その日のランチでいちばん最後まで残っていた客が、圭一の話を聞いて呑気な声を上げた。
「砂の中に埋まってたんでしょ。山澤くんが気がつかなかったら、どうせそのままになっちゃってたんだし」
 彼は近くで温泉旅館を経営している。一週間に3回は一人でランチを食べに現れ、そして決まっていつまでもコーヒーをちびちびと飲んでいる。本人にしてみれば「その言い方、感じ悪いなあ。せめて“ゆったりと味わっている”とか言ってよ」ということになるのだが、ランチの営業時間が過ぎ、ほかの客すべてが帰っても、気に留めるふうもなく圭一を相手に世間話をしている。よっぽどヒマなのだろうかと、圭一は時々疑わざるを得ない。
「いいんじゃないのかなあ、もらっちゃっても」
 ヒマ人は重ねて呑気なことを言う。
「いや、女性ものなんだよ」と圭一が答えても、「だからさ、いいじゃない、誰か女の子に上げちゃえば」と、その呑気さ加減はまるで変わらない。
「なかなか洒落たデザインだしさ。タダで株を上げることができるんだよ、女の子からの」
「でもね」と圭一は、カウンターの隅に置いてあった腕時計を手にとって言った。
「これ、持ち主はそれなりに大切に扱っていたものじゃないかと思うんだ。だって、銀製品って傷みやすいでしょ。でもこの時計は砂の中に埋もれてたのに黒くくすんでもいないし。それだけ手入れしていたんじゃないかなって」
「いや、そんなに大切なものだったら、浜辺に忘れていったりするかな? 砂の中に埋まっていたのなら、案外、捨てていったものなのかもしれないよ」
 まあ、それはそうなんだけどね、と言いながら、圭一は店の壁に掛けられた時計を見た。そろそろ帰ってくれないかな、という気持ちを込めた仕草だったのだが、旅館の若社長は気に留めるふうもない。仕方なく圭一は「そろそろ……」と口に出して言ってみた。
「そろそろ駐在さんのところに行ってこようかと思うんだけど」
 あ、そう?と、彼はようやく腰を上げた。そして「本当に届ける必要はないと思うけどなあ」と独り言のようにつぶやきながら会計を済ませると、自分の旅館に続く坂道を上って行った。
 店の前まで出て、その背中を見送った圭一は「やれやれ」と息を吐き、そしてざっと後片付けをすると、拾った時計を駐在所まで届けに出かけたのだった。駐在所は小学校の近くにあって、駐在所の警官が拾得物の書類を作っている間も、小学校の校庭から体育の授業を受けているらしい子どもたちの声が風に乗って響いてきていた。圭一は制服姿の警官がペンを走らせている間ずっと、小学生のころに自分が住んでいた街のことをぼんやりと考えていた。その街には海はなく、風に季節を教えられることもなかった。ずいぶん遠くに来た、そんな気がした……。
「ご苦労様でした。もういいですよ」という声にふと我に帰り、圭一は駐在所を出てもと来た道を戻っていった。

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 だから圭一が自分のレストランのブログに時計の話を書いてみようかという気になったのも、もしかしたらそんな郷愁めいた心持ちに影響されてのことだったのかもしれない。ただ駐在所から戻るともうディナーの仕込みにかからなければならない時刻になっていて、パソコンの前に落ち着いて座る時間が持てたのは定休日になっている水曜の昼間のことだったのだが、そのとき圭一は、時間のことをぼんやりと考えていたのだ。絶え間なく流れ去って行き、二度と帰ってくることはない時間というものについて。

   中原中也が月夜の浜辺で拾ったのはボタンでしたが、
   僕が朝の浜辺で拾ったのは一本の腕時計でした。
   僕もやっぱりそれを波に抛ることはできませんでした。
   砂になかば埋もれていた時計は、まだ動いていました。
   迷子の時計が刻む迷子の時間は、どこに流れていくのだろう?

 腕時計を見つけたいきさつを簡単にまとめた後で、圭一はこんな数行を書いた。そして、「もしも迷子の時間の流れていく先に心当たりのある方がいらっしゃったら、湯野浜の駐在所に連絡してみてください」と記しておいた。
 ふだん、ブログには食材やメニューの説明を書いていた。今日はずいぶんトーンの違う内容になっちゃったな、と圭一は思ったが、まあ、いいか、と思い直した。今日は定休日なんだし。
 そしてノートPCを閉じた。そしてそれきり、時計のことは忘れた。そして思い出すこともなかった。
 彼女が現れるまでは。

著者プロフィール

星野 青(ほしの・あお)

ライター・編集者。2009年4月〜2010年3月、月刊誌「東京カレンダー」編集長。2009年4月〜2014年3月、JR東日本会員誌「大人の休日倶楽部[ミドル]」クリエイティブ・ディレクター。編著書に、小説『月光川の魚研究会』(2011年/ぴあ刊)、ノンフィクション『空間演出家 池貝知子の仕事と意見』(2012年/アクセス・パブリッシング刊)、『図書館が街を創る。〜「武雄市図書館」という挑戦』(2013年/ネコ・パブリッシング刊)などがある。

バックナンバー

第一話 迷子の時間

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